2012年8月30日木曜日
2012年8月22日水曜日
薔薇
(ネットからの抜粋です↓)
じいちゃんは、定年退職後バラの手入れに第二の人生を見いだした。
朝から晩まで、庭中に置いてある100株以上のバラの鉢の世話に明け暮れている。
時々品評会などにも出品し、好成績をおさめているらしい。
消毒などで近所の人たちにご迷惑をかけることもあるので、じいちゃんはバラが咲いたら惜しげもなくあちこちに切り花として配る。
通りすがりの人がほめただけでも、じいちゃんは花束にしてバラをプレゼントする。
近所の公民館、幼稚園、グループホームなどへも寄贈している。
病院のロビーにも欠かさず届けているので、受付の人や先生ともなじみとなり、じいちゃんは風邪をひいてしんどくなって近所の病院にいくと特別に待ち時間なしにしてもらえたと、嬉しそうに話していた。
じいちゃんのバラは大好評で、地域をあげてじいちゃんを応援してくれる。
窃盗の多い地域だけど、じいちゃんの鉢だけは誰も取って行くことはなかった。
今までは・・・。
じいちゃんはバラの盆栽にはじめて挑戦した。
何年目かの春、あまりに見事に咲いたので、地域の公民館の作品展に出品し、○○公民館祭芸術賞を受賞して、鼻高々だった。
まるでサクラのように古風に咲くバラの花は本当に美しくて、じいちゃんは地域の人にももっと見てもらおうと、玄関先に出しておいた。
月夜の晩には暗闇に凛として、それはそれは美しい花だった。
ある朝じいちゃんが玄関に出ると、鉢はなかった。
はじめて盗まれて、じいちゃんは呆然としていた。
鉢は近所の泥ママが持っていっていた。
泥ママの近所の人がみんなで
「この花は○○さんちのじいちゃんが咲かせたものだ」
「なぜじいちゃんとつきあいのない貴女の家にあるのか?」
と口々に尋ねたらしい。
泥ママは泣きながらつい魔が差して盗んだことを白状し、近所の世話好きママに連れられてわが家まで謝りにきていた。
じいちゃんは、
「その鉢はこの人にあげたものだ」
と言い張り、鉢を受け取らなかった。
付き添いのご近所ママが帰ったあと、じいちゃんは泥ママと長い時間話をしていた。
泥ママはお金がないわけではなく、仕事と浮気に夢中で家庭を顧みない夫と、育児疲れでぼろぼろになっていて、美しいバラに目を奪われてしまったと、泣きながら告白したらしい。
じいちゃんは泥ママに改めてバラの鉢をプレゼントし、じいちゃんの庭で一緒にバラの手入れをしようと提案した。
泥ママはその後改心してじいちゃんに師事してバラの育成を学び、泥ママの家はご近所で有名な第二のバラ屋敷となった。
花の咲き乱れる泥ママの屋敷には園芸好きの人たちが出入りするようになり、孤独で引きこもりがちだったかつての泥ママはすっかり明るくなって、浮気ざんまいだったご主人も泥ママのところに無事帰ってきた。
じいちゃんは、定年退職後バラの手入れに第二の人生を見いだした。
朝から晩まで、庭中に置いてある100株以上のバラの鉢の世話に明け暮れている。
時々品評会などにも出品し、好成績をおさめているらしい。
消毒などで近所の人たちにご迷惑をかけることもあるので、じいちゃんはバラが咲いたら惜しげもなくあちこちに切り花として配る。
通りすがりの人がほめただけでも、じいちゃんは花束にしてバラをプレゼントする。
近所の公民館、幼稚園、グループホームなどへも寄贈している。
病院のロビーにも欠かさず届けているので、受付の人や先生ともなじみとなり、じいちゃんは風邪をひいてしんどくなって近所の病院にいくと特別に待ち時間なしにしてもらえたと、嬉しそうに話していた。
じいちゃんのバラは大好評で、地域をあげてじいちゃんを応援してくれる。
窃盗の多い地域だけど、じいちゃんの鉢だけは誰も取って行くことはなかった。
今までは・・・。
じいちゃんはバラの盆栽にはじめて挑戦した。
何年目かの春、あまりに見事に咲いたので、地域の公民館の作品展に出品し、○○公民館祭芸術賞を受賞して、鼻高々だった。
まるでサクラのように古風に咲くバラの花は本当に美しくて、じいちゃんは地域の人にももっと見てもらおうと、玄関先に出しておいた。
月夜の晩には暗闇に凛として、それはそれは美しい花だった。
ある朝じいちゃんが玄関に出ると、鉢はなかった。
はじめて盗まれて、じいちゃんは呆然としていた。
鉢は近所の泥ママが持っていっていた。
泥ママの近所の人がみんなで
「この花は○○さんちのじいちゃんが咲かせたものだ」
「なぜじいちゃんとつきあいのない貴女の家にあるのか?」
と口々に尋ねたらしい。
泥ママは泣きながらつい魔が差して盗んだことを白状し、近所の世話好きママに連れられてわが家まで謝りにきていた。
じいちゃんは、
「その鉢はこの人にあげたものだ」
と言い張り、鉢を受け取らなかった。
付き添いのご近所ママが帰ったあと、じいちゃんは泥ママと長い時間話をしていた。
泥ママはお金がないわけではなく、仕事と浮気に夢中で家庭を顧みない夫と、育児疲れでぼろぼろになっていて、美しいバラに目を奪われてしまったと、泣きながら告白したらしい。
じいちゃんは泥ママに改めてバラの鉢をプレゼントし、じいちゃんの庭で一緒にバラの手入れをしようと提案した。
泥ママはその後改心してじいちゃんに師事してバラの育成を学び、泥ママの家はご近所で有名な第二のバラ屋敷となった。
花の咲き乱れる泥ママの屋敷には園芸好きの人たちが出入りするようになり、孤独で引きこもりがちだったかつての泥ママはすっかり明るくなって、浮気ざんまいだったご主人も泥ママのところに無事帰ってきた。
2012年8月13日月曜日
「小さな幸せ」を僕たちは嫌悪した。
(ネットからの抜粋です)
学生時代、仲の良かった4人で6畳一間の安下宿で夢を語り合いました。
あんな大人にはなりたくない。
毎日満員電車で通勤し、小さな家を買って、小さな車に乗り、休日には家族で出かける。
こういう「小さな幸せ」を僕たちは嫌悪した。
4人とも上場企業に就職したけれど、1人は10年ほど前に会社が倒産し、その後音信不通。
1人は15年前に独立し、一時期稼ぎまくって、この世の春を謳歌したけれど、5年前に自己破産。
それから何をやってもうまくいかず、先月「借金取りから逃げるために、しばらく海外に飛ぶ」という連絡が入りました。
1人は独立するタイミングをつかめぬまま、現在も同じ会社で働き、安月給と嘆きながらも、それなりに安定した生活をしている。
そして僕は父の会社を継いだものの売り上げは父の代の3分の1にまで減少し、それでも青息吐息で続けています。
若いころ僕たちが嫌悪した「小さな幸せ」を得ることがいかに難しいか「小さな幸せ」がいかに尊いかということを実感しています。
大学生と話す機会がたまにあります。
夢を語る彼らに対し「現実はなかなか厳しいよ」と話す僕は、彼らから見ると「こんな大人にはなりたくない」、まさに僕自身が嫌悪した大人になっているのだと思います。
これを様々な経験を積んできた結果の「成長」と呼ぶのか、あるいは夢破れた結果の「敗者」であるのか。
僕自身わかりません。
いまでもときどき思い出すこと
2012年8月7日火曜日
ホームページを更新・追加しました。
ホームページをスマートフォン対応にしているのですが、iPhoneの場合はショートカットしてホームページに行く時に、ブックマークの代わりにSAFARIの"ホーム画面に追加"を押すと、iPhoneのホーム画面にアイコンとして保存されます。
ただ、大抵のサイトが"ホーム画面に追加"を押すと、ページ全体の小さい画像になってしまいます。
そこで分かりやすいように、僕の"LOOT"のロゴが表示されるようにしました。
是非iPhoneを使っていて、僕のホームページをチェックしてくれている人は試してみて下さい。
僕のiPhoneの壁紙(幸運?の一つ目招き猫)は、こちらで無料配布しています。
それとInstagramに載せている作品を正方形のキャンバスにプリントして販売するサイト「Instacanvas」に登録しました。
Instacanvas[http://instacanv.as/japanese_street_artist]の方にも随時作品を載せていきますので、皆さんチェックよろしくお願いします。
ただ、大抵のサイトが"ホーム画面に追加"を押すと、ページ全体の小さい画像になってしまいます。
そこで分かりやすいように、僕の"LOOT"のロゴが表示されるようにしました。
是非iPhoneを使っていて、僕のホームページをチェックしてくれている人は試してみて下さい。
僕のiPhoneの壁紙(幸運?の一つ目招き猫)は、こちらで無料配布しています。
それとInstagramに載せている作品を正方形のキャンバスにプリントして販売するサイト「Instacanvas」に登録しました。
Instacanvas[http://instacanv.as/japanese_street_artist]の方にも随時作品を載せていきますので、皆さんチェックよろしくお願いします。
2012年8月3日金曜日
やりたくないだけ
(ネットからの抜粋です)
もう20年以上もまえに僕が見出した法則の一つに、
「悩んでいる人は,解決方法を知らないのではなく、
それを知っていてもやりたくないだけだ。」
というものがある。
方々で何度も書いたり話したりしている。
悩んでいる人を揶揄しているのではない。
人間というものは,自分のことを一番よく考えている。
貴方のことを一番考えているのは貴方なのだ。
これは例外なくすべての人に当てはまることだろう。
どうすれば良いのかは、わっているけれど、
その方法を素直に選択できない状況下にある。
だから悩むのである。
解決の方法がないわけではない、というのが、
この法則の意味だ。
道に迷っているのではない。
道は目の前にあるけれど、なんらかの理由で
その道を通りたくないのである。
森博嗣 (2009). 自由をつくる 自在に生きる 集英社 p.109
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