2012年3月28日水曜日

古式の神社の鳥居




(ネットからの抜粋です↓)

意外なところで神社の鳥居。

古式の神社の鳥居って何メートル
地下へ埋まっていると思います?




 答え → 0m

ただ地面に乗っているだけなの。

良くそれで倒れないなと素人考えで思うが、
固定されなていない柔構造なので、右に力が加われば
左に逃がし、左に力が加われば右に逃がすという具合に、
力が集中してかからない構造になっている。

しかし、現代科学の見地から、こういう鳥居が見直され、
まったく良く数百年間も地震に耐え倒れなかったものだと
おせっかいして、古式の鳥居が、現代科学の見地から
理論上絶対に倒れない深さまで鳥居の根元を埋める
という事が多数行われた。

その結果、関西大地震で、確かに現代科学が言うように
倒れなかったが、数百年間倒れなかった鳥居がボキボキ
折れまくった。


日本のテクノダンス・・・笑ったぁ


本当に楽しそうで・・・ちょっとかっこいいと思ってしまった・・苦笑。




これも貼っておきます。テクノバイキング


見かけで損してる・・・



(ネットからの抜粋です↓)


コギャルA
「あんたって馬鹿そうに見えるよね」

コギャルB
「そーそー、見かけで損してるって、ゆうかー」

コギャルA
「何か特技あるんだっけ?」

コギャルB
「文学とかチョー得意だよ。何でも知ってるって、ゆうかー」

コギャルA
「シェイクスピアのマクベスはどんな話?」

コギャルB
「帝王切開で産まれたから、俺はお前、殺せます、みたいなー」

コギャルA
「ヴェニスの商人は?」

コギャルB
「相続した遺産使い果たしたけど、玉の輿でラッキー、みたいなー」

コギャルA
「森鴎外の舞姫は?」

コギャルB
「留学した日本人が現地女をやり逃げ、みたいなー」



コギャルにしとくのはもったいないと思った。


2012年3月22日木曜日

どこかで勝負をするために生まれたのかもしれないよ。



親だから食わせるのは当たり前、、と引きこもりの若者が言う。

生計を立てられない若者が地道に働く年収400万の人間を笑う。

1996年僕は、時代の空気に違和感を覚えた。

どう考えてもおかしいのにだれも反応しない。

おまえら全然ダメだよ。

そう言おうものなら袋叩きにあうから。

ちょうどイチローが活躍し始めたころ。

「みんなイチローだけが好きなんだ」と感じたのを、すごく覚えている。

1軍半の選手だって必死に努力しているのに、全く認めようとしない。

そんな若者を世間はひたすら甘やかす。

例えば不登校。

「厭なら学校なんて行かなくてもいい。君の人生なんだから。」

これって健全ではないよと僕は思った。

大人はもっと壁であるべきでしょ。

地味な仕事でも、人間関係が厭でも文句を言わずにやれよ。

人生は勝たなきゃ駄目に決まっているだろうが。

そういうことをあまり言わなくなった。

懸命に働いても給料も少ないし、正社員にもなれない。

若者は追い詰められて、流石に目が覚めたというか。

地道に頑張ることが大事なんだと現実的に考え始めたんじゃないかな。

それでも彼らを取り巻く環境はますます厳しくなる。

人はなぜ生まれたのかと考える。

種の保存とかとは別にね。

どこかで勝負をするために生まれたのかもしれないよ。

そうであれば頼りは自分しかいないんだよ。

生き方を自分の胸に聞くしかない瞬間がきっとある。

これも自分で生き方をきめたってことじゃないかな。



2009年10月14日 日経新聞夕刊
漫画家 福本 伸行さんの文章より抜粋

2012年3月20日火曜日

サキちゃんのママの魔法

(ネットからの抜粋です↓)


サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、
死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。

その時、サキちゃんはまだ2歳。

「あなた、サキのためにビデオを3本残します。

このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。

2本目は小学校の入学式に。

そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」

まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。



そして、サキちゃんの3歳の誕生日。

1本目のビデオがかけられた。

(ビデオからつないだテレビ画面に、病室の
ママが映し出される)

「サキちゃん、お誕生日おめでとう。

ママ、うれしいなぁ。

でもママはね、テレビの中に引っ越したの。

だから、こうやってしか会えない。

パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。

だったら、ママ、また会いに来ます」



サキちゃんの小学校入学の日。

2本目のビデオ。

「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。

ママ、うれしいな。

どんなにこの日を待っていたか。

サキちゃん、ちゃんと聞いてね。

ママが今住んでいるところは、天国なの。

だから、もう会えない。

でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、
ママ、もう一回だけ、会いに来ます。

じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!

ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるように
なりました」






そして3本目のビデオ。

そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに


そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、
新しいママが来た。

3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。

なつかしいママの顔が映し出された。

「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。

えらかったね。

でも、もう大丈夫。

新しいママが来たんだから。

……

サキちゃん。今日で本当にお別れです。

……

サキちゃん、今、身長はどれくらい?
ママには見えない。

 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)

ママ、もっと生きたい…。

あなたのために、おいしいものいっぱいつくって
あげたい…。

あなたの成長を見つめていたい…。

じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。

それは、『ママを忘れる魔法』です。

ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしを
つくってください。

では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」

そこでビデオは終わった。



しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。

パパと、新しいママにも効かなかった。

ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、
4本目のビデオがつくられたのだった。

天国のママに見てもらうために

2012年3月9日金曜日

2月29日岡崎にて、スプレー缶で絵を描いてきました。

2月29日岡崎にて、ZAIN2010さんのご協力のもと、スプレー缶で
絵を描いてきました。

その時の様子を同行したSTEELOさんに動画編集して
いただきました。




完成(所要時間 約3時間)




途中で上手く描こうとしている自分に嫌気がさし、
集中力が切れてしまいました。

そのあとは気持ちを入れかえ、バランスとか丁寧に描くとか関係なく、
素で思うがままに描きました。

やっぱりグラフィティは自分の中の原点であり、缶を持つとどうしても
自分の中のドロドロした凶暴性を表現したくなります・・汗。


見に来て頂いた方々、ZAIN2010さん、STEELOさん、
ありがとうございました。

LOOTONE ARTWORKS

2012年3月8日木曜日

復員の事務についていた、ある暑い日の出来事

LOOTONE ARTWORKS


(ネットからの抜粋です↓)




第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る
復員の事務についていた、ある暑い日の出来事でした。

私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、


貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、

死んだと伝える苦しい仕事をしていました。

留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい

服装の人が多かった。

ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、

チョコンと立って、私の顔をマジ、マジと見つめていた。

「あたし、小学校二年生なの。



おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。

おとうちゃんの名は、○○○○なの。



いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、
たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。


それで、それで、わたしに、この手紙をもって、
おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」


顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。


私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、
復員局からの通知書があった。


住所は、東京都の中野であった。


私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンの

バギオで、戦死になっていた。

「あなたのお父さんは---」


といいかけて、私は少女の顔を見た。


やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、

一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。


私は、少女に答えねばならぬ。



答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、
どんな声で答えたかわからない。

「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」


といって、声がつづかなくなった。


瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、

わっと、べそをかきそうになった。

涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。


それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。


私の方が声をあげて泣きたくなった。


しかし、少女は、

「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。


おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの
戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、
それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」


私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。


少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。


やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、

ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。

涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。


肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを

血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。

私は、声を呑んで、しばらくして、


「おひとりで、帰れるの」



と聞いた。

少女は、私の顔をみつめて、


「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。


おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、

電車を教えてもらったの。

だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」


と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、

私にうなずいてみせた。

私は、体中が熱くなってしまった。


帰る途中で、私に話した。


「あたし、いもうとが二人いるのよ。



おかあさんも、しんだの。

だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。



あたしは、泣いてはいけないんだって」

と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、

私の頭の中をぐるぐる廻っていた。



2012年3月6日火曜日

映画「アメリ」の寝室の絵をパロってみました。

映画「アメリ」の寝室に飾られている画家ミヒャエル・ゾーヴァ氏の作品を
パロってみました。

映画のワンシーン








サイズはSM(縦227mm 横158mm)で、アクリル絵具で描きました。
まず最初に模写をし、それからパロってみました。

パロディ作品「BAD BOY」






パロディ作品「PINUP GIRL」










どこがどう変わったかわかりますか?