2012年7月25日水曜日

DJ があふれている・・・

(ネットからの抜粋です↓)




今、クラブはDJが溢れている。

お客さんも8割DJで、みんなそれぞれの
イベントをもっていて、イベントのために
音楽を買いイベントのためにイベントに
行く人が多いのかもしれない。

どんな有名な人を呼んでいても、それは
周りの友人達を惹きつけるためで、集まる
のはせいぜい出演DJの友達の友達の
友達のDJ。

結局内輪でDJ無限ループ。

行けばそれなりに楽しめるけど、最後に
残るものがみつからない。

音楽がずっと好きで、かっこいいプレイを
していたDJに憧れていただけなのに。

明け方のダンスフロアで生まれる不思議な
一体感に憧れていただけなのに。

いつの間にか音楽が目的でなくなっている。

なにがしたいのかがわからなくなっている。





2012年7月16日月曜日

ウマ、サル、イルカ、イヌ、ゾウなど、人間も含め哺乳類はみんな「変態」


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(ネットからの抜粋です↓)


マスターベーションは、ウマ、サル、イルカ、イヌ、ゾウなどの
多くの哺乳類で頻繁に観察される。

メスもオスもこの快楽に身を委ねている。

そして人間と同じようにその方法は創意工夫に富んでいる。


イヌ、ヤギ、サル、モルモットなどの多くの種で、オスは自ら
フェラチオをする。

ときにはそれで射精に至ることもある。

霊長類のメスが自らクンニリングスを行ったという
注目すべき報告もいくつかある。

囲いに入れられたメスのチンパンジーが庭のホースから
流れ出る水を直接クリトリスに当てる様子が観察された
こともある。

メスのオランウータンは木の皮や棒で作った粗雑な張り形を
使うことすらある。

あるメスのヤマアラシは、棒にまたがって歩き回り、振動を
股間に伝えていた。

しかしおそらく動物たちの中で最もマスターベーションに
創造性を発揮しているのは、オスのバンドウイルカだろう。

彼らはくねくねと動き回る生きたウナギをペニスにまとわり
つかせる。


(中略)


オス同士、メス同士のオーラルセックスはハイエナや
ボノボなど数多くの種で報告されており、ボノボでは
メス同士が生殖器をこすり合わせる。

オス同士のアナルセックスは、ヒツジ、キリン、バイソンなどで
記録がある。

バンドウイルカはオス同士で互いの生殖溝にペニスを
挿入する。

アマゾンカワイルカはオス同士で互いの噴気孔に
ペニスを挿入する。

知られている限り唯一の鼻セックスの事例だ。


(中略)


動物のセックスについて語る以上、もっと風変わりな
現象を扱わないわけにはいかない。

異種間セックスだ。

捕獲されて自由を奪われた動物の間ではよく見られる
行動だが、野生動物についても例が報告されている。

オスのヘラジカがメスのウマと交尾することは
よく知られている。

シベリアの動物園ではトラとライオンが交尾して
子どもを産んだ。

野生動物の遺伝子を解析して異種間の交配で生まれた
個体を調べると言う方法で、ハイイログマとホッキョクグマの
間には性的接触があることが確認されている。


(中略)


1995年6月のある日、博物館のオフィスにいたセース・ムイリカー
博士は、オスのマガモが部屋の窓にぶつかるのを見た。

カモは死んだ。

様子を身に近寄った博士は、ほかのオスのマガモがやってきて、
死んだカモの遺骸をレイプするのを目撃した。

それは75分にわたって続いた。

ムイリカー博士がこの発見を科学誌に投稿しようと準備を
はじめると、すでにマガモの異性間屍姦について文献が
あることに気がついた。



2012年7月7日土曜日

学習性無力感


(ネットからの抜粋です↓)

心理学に「学習性無力感」という言葉がある。

気性の荒い魚カマスとえさの小魚の間を
透明の板で仕切る。

カマスは体当たりを繰り返すが、無駄だとわかると
板を外しても小魚を狙わない。

「何をしても仕方ない」。

忙しさに追われ、息切れムードが広がる職場の姿に
似てはいないか。

実験には続きがある。

別のカマスを水槽に入れるのだ。

猛然と小魚に襲いかかる様子に、無気力だった
カマスが目を覚ます。

外から飛び込む刺激は活力を取り戻す即効薬になる。

2012年7月3日火曜日

デモしかやってないのに、それで変われるわけないじゃんって。

(ネットからの抜粋↓)


自分が思うのは、もっと何か大きなことが起こったら、
国民は初めて「やるしかない」と精神が統一されて
変わるだろうけど、3・11現象だけで変われるかというと、
わからない。


「これほどデモをやってるのに再稼働が止められない、
政治が変わらない」


という不満も聞きますが、それは、それぐらいしか変えようと
思ってないということなのでは。


本当に変わるのは維新の志士のように皆が必死になるとき
はないでしょうか。

サリン作って、炭疽菌(たんそきん)作って、自分たちも死ぬ
思いをして、死ぬ恐怖を抱えて革命しようと思った妄想で
狂ってる人間たちから見ると、


「なんだよ、まだデモしかやってないんでしょう」


って。


「それで変われるわけないじゃん」


って。


もともとデモぐらいの努力で変えられるものだったら、オウムも
選挙で勝ってたろうし。

だから、少なくとも犠牲を覚悟して、


「経済なんかどうでもいい。環境が第一だ!」


「失業してもいい。オレたちはそれで自殺はしない。だから
野田首相ぜひ止めてください」


って言えば、野田首相も止めるでしょう。

だから、


「どうしたら今の政治が、国が、変われるのか」


という話を聞くと、私は、


「本当に皆、変わりたいのかな」


と違和感を覚えるのです。


そしてもし、その本音が、長い地道な努力の積み重ねではなく、
誰かに委ねて楽に変わりたいということならば、それはオウム
のように危険だなと。









ひかりの輪代表役員・上祐史浩氏「我々からしたら、デモしかやってないのに、

それで変われるわけないじゃんって」


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120702-00000311-playboyz-soci