2012年3月22日木曜日

どこかで勝負をするために生まれたのかもしれないよ。



親だから食わせるのは当たり前、、と引きこもりの若者が言う。

生計を立てられない若者が地道に働く年収400万の人間を笑う。

1996年僕は、時代の空気に違和感を覚えた。

どう考えてもおかしいのにだれも反応しない。

おまえら全然ダメだよ。

そう言おうものなら袋叩きにあうから。

ちょうどイチローが活躍し始めたころ。

「みんなイチローだけが好きなんだ」と感じたのを、すごく覚えている。

1軍半の選手だって必死に努力しているのに、全く認めようとしない。

そんな若者を世間はひたすら甘やかす。

例えば不登校。

「厭なら学校なんて行かなくてもいい。君の人生なんだから。」

これって健全ではないよと僕は思った。

大人はもっと壁であるべきでしょ。

地味な仕事でも、人間関係が厭でも文句を言わずにやれよ。

人生は勝たなきゃ駄目に決まっているだろうが。

そういうことをあまり言わなくなった。

懸命に働いても給料も少ないし、正社員にもなれない。

若者は追い詰められて、流石に目が覚めたというか。

地道に頑張ることが大事なんだと現実的に考え始めたんじゃないかな。

それでも彼らを取り巻く環境はますます厳しくなる。

人はなぜ生まれたのかと考える。

種の保存とかとは別にね。

どこかで勝負をするために生まれたのかもしれないよ。

そうであれば頼りは自分しかいないんだよ。

生き方を自分の胸に聞くしかない瞬間がきっとある。

これも自分で生き方をきめたってことじゃないかな。



2009年10月14日 日経新聞夕刊
漫画家 福本 伸行さんの文章より抜粋