2012年3月8日木曜日

復員の事務についていた、ある暑い日の出来事

LOOTONE ARTWORKS


(ネットからの抜粋です↓)




第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る
復員の事務についていた、ある暑い日の出来事でした。

私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、


貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、

死んだと伝える苦しい仕事をしていました。

留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい

服装の人が多かった。

ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、

チョコンと立って、私の顔をマジ、マジと見つめていた。

「あたし、小学校二年生なの。



おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。

おとうちゃんの名は、○○○○なの。



いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、
たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。


それで、それで、わたしに、この手紙をもって、
おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」


顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。


私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、
復員局からの通知書があった。


住所は、東京都の中野であった。


私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンの

バギオで、戦死になっていた。

「あなたのお父さんは---」


といいかけて、私は少女の顔を見た。


やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、

一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。


私は、少女に答えねばならぬ。



答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、
どんな声で答えたかわからない。

「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」


といって、声がつづかなくなった。


瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、

わっと、べそをかきそうになった。

涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。


それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。


私の方が声をあげて泣きたくなった。


しかし、少女は、

「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。


おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの
戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、
それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」


私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。


少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。


やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、

ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。

涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。


肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを

血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。

私は、声を呑んで、しばらくして、


「おひとりで、帰れるの」



と聞いた。

少女は、私の顔をみつめて、


「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。


おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、

電車を教えてもらったの。

だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」


と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、

私にうなずいてみせた。

私は、体中が熱くなってしまった。


帰る途中で、私に話した。


「あたし、いもうとが二人いるのよ。



おかあさんも、しんだの。

だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。



あたしは、泣いてはいけないんだって」

と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、

私の頭の中をぐるぐる廻っていた。